【改訂版】あえてベッキーと育休議員を擁護する(2016年02月14日の記事の再掲)
当ブログは当たり前のことをわざわざ言うのは野暮なことで恥かしいことだと主張してきました。
本来の自分の意見や本音、本心は全く別であったとしても、世間一般とは少し違ったものの見方や意見、価値観などをひねり出し、あえて主張することが当ブログの使命であると考え実行してきたつもりです。
最近話題になっているのは、ベッキーと育休議員の不倫問題ですが、二人を糾弾する人たちに私は恐怖を覚えますし、出来ることなら友人知人にはなりたくない人たちというのが私の第一印象です。
二人は確かに世間的にはルール違反のことをしたのかもしれませんが、それを糾弾する人たちは、かつて一度もルール違反をしたことがないかのような責め方をしています。
人間は時にはルールを破るし、ミスもする哀しい生き物だという認識を少しでも持っていれば、あれほど傲慢で一方的な非難などしないでしょうし、人を許さない傲慢で不寛容な人間と仲良くなりたい人間などどこにもいないと思っています。
勿論、私はそんな不寛容で傲慢な人たちが世の中にいることを知っていますし、それは彼らがベッキーや育休議員と同様に未熟な人間だからであることも知っていますので、そんな彼らを許さないとなれば、彼らを批判する私と彼らは同レベルの人間ということになりますので、私はいきり立っている彼らを冷ややかに見ながら、火に油を注ぐような意見を言ったり、ケンカを売るほど馬鹿ではなく、意見を求められたら言いますが、そうでない限り自分からは何も言わず、笑顔で付き合おうとするズルい人間であることは皆さんご存知の通りです。
【事件と問題の相違】
不倫問題については、見方や価値観が変われば、意見や結論も変わる問題ですので、ここではあえてベッキーや育休議員を擁護する立場で意見を述べてみたいと思います。
もちろん清原和博容疑者の覚せい剤事件も気になりますが、彼が反社会的な人間であったことは、刺青をしているという事実から見ても明らかでしたので、意外性や驚きは全くなく、彼を擁護して、私まで反社会的な価値観を持つ人間だと思われるのは心外ですので、ここでは短く感想を言うだけにとどめたいと思います。
刺青をする人間にはいろいろ言い分があるとは思いますが、堅気で育ってきた普通の人間の感覚からすれば、刺青を入れるというのは、売春をしたり、AVに出演したり、クスリに手を染めたりするのと同様に、結婚して籍を入れたり、クリスチャンにとっての洗礼を受けるのと同じくらい大きな決断や覚悟を要する出来事であり、一種の通過儀礼であったことは間違いないと考えています。
普通の人間の生活からの決別をそれ以前に彼はしていたに違いなく、そんな反社会的な彼の気持ちを理解しようとも、したいとも思いません。
反社会的な行動に対しては、同様の暴力的な力で対峙することは認められてませんので、検察や警察、裁判、法律といった合法的な手段でもって落としどころを見つけるのが社会人としてのありかただと考えていますので、彼が今回の逮捕を契機に立ち直り、再起できるように強く願っています。
一方のベッキーの場合は、覚せい剤事件とは違い、倫理的、道徳的な問題にすぎないにも関わらず、マスコミや世間が一方的な決着をつけようとして一種の公開リンチが行われたという認識でおり、そんな無法を行い、今も行っている人たちに警鐘を鳴らしたいと考えています。
【余計なお世話】
これまでも書いてきたように、不倫を含む男女間の問題は当事者で解決すべき話であり、国家権力やマスコミが介入すべきものでもなければ、赤の他人が口出しすることでもありません。
その証拠に、夫(妻)が不倫した話は、妻(夫)が許した時点で、他人の出番はなくなります。
大物お笑いタレントの奥さんが関西の落語家と駆け落ちした際に、「これまで何百回も殴ってきた(浮気してきた)オイラが一発殴られたからって文句は言えないよ」という名言の前では、誰もが黙るしかありませんでした。
人間国宝の歌舞伎役者が浮気騒動を起こした際、夫人が、「彼は芸人ですから」と前置きした後、「彼は常に女の人(若い子でなくともよい)がいないとダメですから」「女性にモテない夫なんてつまらない」と述べられたら、来ているレポーターたちも上げていた拳を渋々おろすしかありませんでした。(※参照 モテない 女」の部分一致の例文)
他人からわざわざ言われなくても、結局愚かなことをした人間を伴侶に選んだのは自分であり、自分の人の見る目のなさを恥じ、愚かだった過去の決断を反省するしかないことは、誰に言われずとも自分が一番よく分かっていることです。
当事者が、いろいろ口を出してくる世間やマスコミなど赤の他人たちに言いたいことを文章にすれば、「本当にいろいろリスクがある浮気なんかしてバカです。でも、そんな馬鹿を好きになった自分も馬鹿なのですから、仕方がありません。私は身内ですから遠慮なくバカと言いますが、他人から言われると腹が立ちます。赤の他人にそんなことを言われる筋合いはありません。余計な口出しはしないでください。ハッキリ言って大きなお世話です。とっとと引っ込んでください!」ということになると思います。
【引っ込め外野】
テレビ局やスポンサーはベッキーの行動を問題視して過剰に騒いでいますが、ベッキーがそれほどのことをしたとは私には到底思えません。
海外の新聞で書かれていたようにし、日本人の心の中に男尊女卑の価値観や差別が今も根強くあるからだと考えています。
不倫をしてきた人間は大勢いるのに、矢口真理やベッキーへのバッシングは明らかに度を越しており、不公平で理不尽なもので、日本人が半島の人と変わらなくなったしまったような恐怖感を持ちました。
それを報道している人間の中には、結婚しているのに隠し子がいた(明らかに二股や不倫をしていた)宮根アナや、不倫相手の家庭を壊した挙句に結婚した安藤優子もいますが、彼らは仕事を追われていません。それがあるべき姿で、矢口真理やベッキーへのバッシングが異常だっただけの話です。
おまけにベッキーの相手の川谷絵音(妻がありながら、そのことを隠してベッキーと付き合っていた彼こそが一番責められるべき人間)が、発覚後も、何事もなく番組に出ていることに何の疑問の感じていない人はどうかしています。
私は不倫など社会的には大きな影響を与える問題ではないと考えているので、宮根や安藤や川内らがテレビに出ているように、彼らがテレビに出ることに全く問題はないと考えており、矢口真理やベッキーを受け入れる寛容な社会や世間であった方が人間にとって住みやすい社会になることを信じています。
【テレビ局やスポンサーは反省せよ】
ベッキーのテレビ出演に対して、反対したり不満を述べる視聴者の意見やら投書する人間は自分のことを知らない愚かな人間か、自分のことを勘違いしている傲慢な人物です。
彼らは日本国民1億3千万人の中では、少数派の中の少数派に過ぎず、そんな特殊な一部のクレーマーたちの言いなりになる必要は全くありません。
偽りのクレーム電話を7000回もかけて現金や商品をだまし取ったとして逮捕された女がいましたが、レシートなど証拠もない人間の言うことをうのみにしたお店や会社の誤った安易な対応は、なんの証拠もないけれど、韓国が騒ぎ立てるから、面倒だからという理由だけで、安易にお金を出し続けた日本外務省と何ら変わりない愚かな行為で、マスコミもまた同じ過ちを犯しているように見えます。
テレビ局やスポンサーも、とりあえず嵐が収まるまで身を潜めていようという日本人特有の事なかれ主義的な対応で、そこには未来への展望やしっかりとした理念もなく、決して理性的とは言えないことをしてきた自分たちこそ反省すべきです。
買ったものに異常なものを見つけたら、普通は直接苦情電話を掛けたり、買った商品を持っていき交換してもらい、後日菓子折りなどで謝罪してもらい、大げさにならないよう決着をつけるのがまともな人間のすることです。
いきなり写真にとってSNSにあげるような人間は愉快犯であリ、確信犯で、たとえクレームが事実であったとしても、相手の名誉を棄損するクレーム方法であったことは明白でくぁり、彼らが責められない今日の状況こそ異常です。
【しかるべき対応】
今後2度とこうしたことが起きないよう、クレーマーたちに損害賠償裁判を起こして痛い目に遭わせる必要があるということを、メーカー側ではなく、消費者側からの総意としていく流れが必要だと考えています
日本の財産ともいうべき優良な企業がクレーマーのためにどんどん疲弊し、倒産していくことを避けるためにも、我々消費者(購買者)にとって、モンスタークレーマーは敵だという認識を持つべきです。
そのためにも安易にクレーマーの言い分に乗らない姿勢が必要なのです。
腹を立てるのは相手が問題というより、腹を立てる側の人間に問題があると考えるべきで、ベッキーが出て不愉快に思うと主張する人は、その人自身の精神状態や価値観に問題がある可能性があります。
日常の憂さを晴らすことが目的のクレーマーに対して、テレビ局は番組での苦情用の留守番電話を用意し、それも押しボタンで回答させるシステムを準備しておくだけでよく、いちいちまともに話を聞く必要などありません。
投稿欄やメールにしても、「~の件、許せない」、「~の件、許せる」、「~の件、その他」のどれかをクリックするように指定した後、それぞれの数などを記録して、報告書として残す程度の対応で十分で、視聴者の反応が視聴率になどに出た時に初めて、テレビ局やスポンサーはクレーマーに対しそれなりの対処をするだけでよく、その前に自分で動いたり、自粛するのは過剰な反応だということに気付くべきです。
【法的な一夫一婦制度の見直し】
私自身は、ベッキーも矢口真理も一夫一婦制度と男尊女卑的な日本人のものの考え方の犠牲者のような気がしています。
欧米のキリスト教社会における一夫一婦制度を、日本も法律の中で取り入れましたが、一夫一婦制度と少年法は、キリスト教信仰と教会の存在を前提とした法制度であり、キリスト教社会ではない日本に取り入れるなら、もっと深く真剣に考えてから取り入れるべきでしたが、あまりに安易に法整備を急ぎ過ぎたのではないかと考えています。
これから人口がますます減少傾向にある日本において、取り組むべきは、一夫多妻制度の導入か、そこまでいかずとも、愛人を持ったり、婚外子を持つことに寛容であった戦前の価値観に戻ることも視野に入れるべきではないかと思っています。
万に一つ一夫多妻制度になったとしても、道徳的に正しくありたい人や、経済的に苦しい人は身の丈に合った一夫一婦制度を守ろうとする人の方が多いでしょうが、金や権力がある男性ならば、複数の女性を愛人にしたり、認知する子供を多く持つ自分に誇りを見出すでしょうし、そうなることで貧しい一人暮らしの女性や貧しい母子家庭が減り、その生活レベルが上がり、当然支出も増え、社会にお金が流れ、内需が拡大すると考えられます。
イスラム社会やアフリカの部族社会、アジアなどでは、何十人もの子供を持つ部族長や富豪がたくさん存在しており、それは決して奇異なことでもなく、キリスト教国家ではない日本が、とやかく言うことではありませんし、他国から非難される筋合いのものでもありません。
日本も150年前までは、殿様や上級武士、大きな商家の主たちは、側室や妾を持ち、彼らにとっては、世継ぎを残すことが最大の使命で、そうした考え方が日本の国民の中に少しでもあったなら、今日の状況に陥っていなかったと思います。
【政治家の優先順位】
日本初の総理大臣である伊藤博文は女好きで有名で、明治天皇から注意されても女遊びは治りませんでしたが、政治家としての評価や信頼と身の下の問題は分けて考えるべきという認識が、明治時代の日本にはありました。
戦後評価の高い米内光政は、二・二六事件が勃発した時に芸者としけ込んでいました(下品な表現でゴメンナサイ)が、特別非難されなかったことを思えば、現代は明らかに過剰反応というしかありません。
終戦後自殺したことで評価が低い阿南惟幾陸相は、妻一筋だったことで有名で、「阿南の一穴主義」とまで言われていたようですが、それは「融通が利かない」「朴念仁」というマイナス評価でしかなく、戦前は金や権力を持つもので、愛人がいないものの方が珍しい時代で、あまりにキリスト教的な価値観を無邪気に取り入れ過ぎの現代だということができます。
「臍下三寸には人格がない」などと言われたその昔、男の不倫は大目に見られていましたし、男は仕事さえしっかりしていれば、妻以外の女性と遊んだ(浮気や不倫した)ところで仕方がない、それが男の性(さが)だ程度に思われており、英雄たちの色ごとに対し、極めて理性的な態度を示していました。
戦後、鳩山由紀夫、邦夫兄弟の祖父・鳩山一郎らと自民党を作ったことで知られる三木武吉は、選挙の対抗馬から 「なんと4人も愛人がいる」と下半身攻撃をされると,「私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5人の女性たちは今日ではいずれも老来廃馬と相成り役には立ちませぬが これを見捨て去るごとき不人情は三木武吉にはできませんから、皆今日も養っております。」と彼は堂々と反論し、世間もこれを良しとし、彼を当選させたのですから、戦後もしばらくは鷹揚な時代でした。
外国においては、政治家の浮気や不倫などのスキャンダルがあったとしても、政治家を辞めるところまで発展したことは殆どなく、政治家に求めるものの優先順位が日本とは大きく違っており、日本のマスコミがここまで下品になったのかとあきれ返っており、特にフジテレビのニュースが完全にバラエティ化していて、ゲスなのはお前たちの方だと白い目で見ています。
【脳科学的な男女の関係】
最近、脳科学的に、人間が恋をし、異性を求める際に影響を及ぼす脳神経伝達物質フェニルエチルアミン(PEA)が出るのはのは3年から5年が限度で、「3年目の浮気」は根拠のない俗説ではなかったことが証明されたようです。(※参照 恋の賞味期限は3年!?フェニルエチルアミンと恋愛の深?い関係)
また「英雄色を好む」と言われるように、決断力があり、大胆な決断を果敢にする男性的な人間には男性ホルモンやノルアドレナリンが多く分泌され、性欲も強いのに対し、いわゆる草食系の男性は真面目で女性関係にも気を遣う反面、小心者で冒険ができず、大胆な決断もできません。(※参照 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)公式HP)
官僚や役人としては、草食系の女性的な人物の方が向きますが、果敢な決断が必要な政治家や軍人には肉食系の男性的な人物の方が向き、小心者に決断力を、英雄にちまちまとした真面目さを求めるのは、ないものねだりというしかありません。
脳科学的に、人間は一夫一婦制度に向いていない生き物であり、長く結婚生活を続けるのは愛情(恋愛感情)ではなく、一緒に生活をしたことで生まれる家族の情であることがわかってきました。(※参照 心動かすもの①)
異性(恋人や夫あるいは妻)としてでなく、自分の子の父(母)として、共に育てていくパートナーとして必要だからという理由で共に生活しているのであって、異性として暮らしていない以上、魅力的な異性が登場すれば、恋愛ホルモンや神経伝達物質が分泌され、目移りしてしまうのは、人間の本能として避けがたいことなのです。
それを理性(身もふたもない言い方をすれば、どっちが得かという計算や打算)と情(長年生活を共にしてきた家族としての情、年を取ったからといって捨てるのは忍びないという哀れみの感情や世間体を気に病む小心さ)でもって、かろうじて踏みとどまっているだけで、それを愛情などとはとても言えない代物であることは確かです。
【強かった本妻(正妻)の立場】
それでも結婚したからには妻に敬意を払うべきだとか、女性の人権を何だと考えているとフェミニズムの代表たちは主張するでしょうが、戦前の浮気をしてきた男性たちも、愛人や妾と言われる人たちも、正妻(本妻)に対しては、今では考えられないくらいの敬意を払っていたことを多分ご存知ないのではないでしょうか。
外で子供が生まれれば、正妻(本妻)が引き取り、正式な母親として育てるというのは、豊臣秀吉の正妻・北政所が、秀頼を生んだ淀君より格式も待遇も上で、秀頼の正式な母親は淀君ではなく北政所であった戦国時代と変わらない考え方が、終戦あたりまで続いており、正妻の人権は現代よりもはるかに守られていたのです。
韓国人の幸夫人と結婚し、日本の元首相でありながら韓国で土下座した宇宙人・鳩山由紀夫は、鳩山威一郎と韓国人の母親から生まれた後、威一郎の正妻・安子夫人に引き取られ、安子夫人の子・邦夫氏と一緒に育てられたことからも、正妻の強さが証明されています(なお小沢一郎、菅直人、福島瑞穂の父親も韓国人といわれています)。
女性の人権を主張する人たちが、どうしてベッキーのために立ち上がり声を全く上げないのでしょうか。
それは本人たちも気づいていないのでしょうが、日本においては、いまだに江戸時代の男尊女卑の価値観や気風がそのまま残っているという誤った認識があり、金や権力を持つ人間が複数の女性の面倒を見、たくさんの子供を養育するのは「男の甲斐性」だが、女性は貞淑であるべきという極めて女性に厳しい認識や価値観が必要以上に強調されて、残っているからだと認識しています。
なお金持ちが愛人やその家族、その親戚をも養うのは戦前の日本独特の考え方ではなく、アジアやアフリカでは豊かなものが貧しいものに恵むのは当然のことたと広く受け入れられていたにも関わらず、欧米を意識するあまりに、そうしたアジア的な価値観を捨て去ったことこそが間違いであったと思っています(※参照 ウッチャンナンチャンのウリナリならぬウリナム①【)。
【滅亡を座して待つのか】
日本は、先進国で唯一キリスト教国家ではない国家であることは世界中に知られており、このまま人口減少で滅亡するのを座して待つのは愚かなことと、結婚制度においてありかたや方向を転換したところで、日本の内政問題であり、反対する外国人はいません。
滅亡を避けるために、人口の多いアフリカやアジアの価値観やシステムを取り入れることは、移民政策を進めるよりも賢明な方法であり、現実的な方法で、同様の危機感を持っている欧米社会に対しても、新たな解決方法を提示する機会となるのではないでしょうか。
そのためには民法の改正だけでなく、財産をなした男が一文無しになるケースもありますので、そんなときには男性に代わって女性や子供一人一人に数千万円を支払うような養育保険のようなものの新設や、結婚前に、妻以外の女性を愛しても離婚の理由にはならないという項目の入った契約書を交わしておけば、不倫という言葉も消えてなくなるでしょう。
男に認められた権利は当然女性にも認められますので、女性も恋愛は自由となり、公平性は担保されますが、もし一方に対して恋愛の自由を認めたくないと思うならば、結婚前に結ぶ契約書の中に、その項目を設けておけばいいのです。
それだと金持ちに有利な契約になる恐れがありますので、恋愛の自由を放棄する見返りとして、それに見合ったお金を手にするというような項目を事前に契約書に入れておけばいいと考えています。
戦前、成功者の家には、貧しい若者たちを引き取り、書生として住まわせ、学校に通わせ、育成するという習慣がありましたが、それは成功者の務めなのだというアジア的な価値観から来ていたものであり、それを復活させるべきだと考えます。
【意識変革の時】
最後にもう一度まとめると、日本が人口減少で滅亡しないようにするためには、戦前のように妻に子供が生まれなければ外で子供を作ってでも、家をなんとしてもつないでいくという意識をもった家存続重視の結婚なのか、これまで同様、二人の愛情重視の結婚なのか、結婚前に二人がどのようなタイプの結婚を目指すのか話し合い、それを細かく契約書を作成して残しておくことが必要であり、金持ちが転落した際のセフティネットとしての養育保険のようなものを保険会社が用意しておくべきだということを提案させてもらいました。
民主党の岡田代表が、宮﨑議員のことを同じ衆議院議員として恥ずかしいと言ったそうですし、民主党議員が鬼の首でも取ったかのように、「奥さんだけでなく、国民の信頼をも裏切った」と偉そうに野暮な批判をしていましたが、民主党には、かつて中西モナと路チューした細野豪志議員がおり、「細野議員について、どういう意見をお持ちですか」という質問をしなかった司会者には脳がないのか、能がないのか、いなくてもいい存在でした。
細野議員の他にも今は別の党にいても、かつては民主党議員だった人が民主党時代に沢山不倫していた噂があったことを知らないふりをしているようですので、参考となる記事を付記しておきます。
法律や制度を変えることには何でも反対という左翼の人が日本には存在します。
事実、社会党や共産党は安保も東京オリンピックも自衛隊も新幹線も専売公社の解体も国鉄の民営化も郵政の民営化も全て反対して、自民党や日本の足を引っ張り続けてきました。
左翼の存在意義は、彼らのような反対するしか能のない存在をも寛容に許すことで、日本が民主主義国家であることを世界に示す証拠としてのみ必要で、それ以外に必要性も存在意義もなかったのではないかと私は疑っています。
【まとめ】
超保守的で現状維持しか訴えず、昔も今も対案を全く出さなかったにも関わらず、臆面もなく革新勢力を名乗る鉄面皮が左翼の連中です。
左翼に限らず、現状維持派の人がいますが、根拠も対案もないのなら、せめて自分の意見とは違う人に対して、賛成したり同意せずとも、そうした意見もあるよねと寛容にその存在を許容し、激しく糾弾したりするような真似をするべきではありません。
反対意見の存在を許さないのが左翼の特徴で、自由な民主主義の恩恵を一番受けながら、政権を取れば、自由を制限する体制に移行することは歴史が証明していますし、ロシアや中華人民共和国や北朝鮮を見ればよく分かりますので、決して騙されてはいけません。
自分なりの考えやルールを持って生きている他者に対し、特にプライバシーともいうべき恋愛や結婚生活に対し、自分の考えやルールを押し付けない謙虚さを人間は持たなくてはなりません。
当たり前のことや常識的なことを偉そうに言うことは、野暮なことだと知っていた江戸時代の日本人を見習い、野暮なことをしなくなり言わなくなるだけで、日本はもっと暮らしやすくなるはずです。
これまで戦後だけで数千万人とも言われる赤ちゃんがおろされてきたそうですが、その殆どが他人の目を気にする世間体と経済的な理由からでしたが、経済的に余裕のある人が愛人や子供を持つことを社会が認め、その面倒を見ることが当然というふうに日本人の意識が変われば、人口増加が少しは望めるかもしれません、
なお私はクリスチャンにシンパシーを感じている人間であり、これらは当然私の持論ではなく、本心とはかけ離れた机上の産物ではありますが、ない頭を振り絞ってそうした意見もあるのではないかと考えてみました。参考にしていただけたら幸いです。失礼しました(【文中敬称略】)。
本来の自分の意見や本音、本心は全く別であったとしても、世間一般とは少し違ったものの見方や意見、価値観などをひねり出し、あえて主張することが当ブログの使命であると考え実行してきたつもりです。
最近話題になっているのは、ベッキーと育休議員の不倫問題ですが、二人を糾弾する人たちに私は恐怖を覚えますし、出来ることなら友人知人にはなりたくない人たちというのが私の第一印象です。
二人は確かに世間的にはルール違反のことをしたのかもしれませんが、それを糾弾する人たちは、かつて一度もルール違反をしたことがないかのような責め方をしています。
人間は時にはルールを破るし、ミスもする哀しい生き物だという認識を少しでも持っていれば、あれほど傲慢で一方的な非難などしないでしょうし、人を許さない傲慢で不寛容な人間と仲良くなりたい人間などどこにもいないと思っています。
勿論、私はそんな不寛容で傲慢な人たちが世の中にいることを知っていますし、それは彼らがベッキーや育休議員と同様に未熟な人間だからであることも知っていますので、そんな彼らを許さないとなれば、彼らを批判する私と彼らは同レベルの人間ということになりますので、私はいきり立っている彼らを冷ややかに見ながら、火に油を注ぐような意見を言ったり、ケンカを売るほど馬鹿ではなく、意見を求められたら言いますが、そうでない限り自分からは何も言わず、笑顔で付き合おうとするズルい人間であることは皆さんご存知の通りです。
【事件と問題の相違】
不倫問題については、見方や価値観が変われば、意見や結論も変わる問題ですので、ここではあえてベッキーや育休議員を擁護する立場で意見を述べてみたいと思います。
もちろん清原和博容疑者の覚せい剤事件も気になりますが、彼が反社会的な人間であったことは、刺青をしているという事実から見ても明らかでしたので、意外性や驚きは全くなく、彼を擁護して、私まで反社会的な価値観を持つ人間だと思われるのは心外ですので、ここでは短く感想を言うだけにとどめたいと思います。
刺青をする人間にはいろいろ言い分があるとは思いますが、堅気で育ってきた普通の人間の感覚からすれば、刺青を入れるというのは、売春をしたり、AVに出演したり、クスリに手を染めたりするのと同様に、結婚して籍を入れたり、クリスチャンにとっての洗礼を受けるのと同じくらい大きな決断や覚悟を要する出来事であり、一種の通過儀礼であったことは間違いないと考えています。
普通の人間の生活からの決別をそれ以前に彼はしていたに違いなく、そんな反社会的な彼の気持ちを理解しようとも、したいとも思いません。
反社会的な行動に対しては、同様の暴力的な力で対峙することは認められてませんので、検察や警察、裁判、法律といった合法的な手段でもって落としどころを見つけるのが社会人としてのありかただと考えていますので、彼が今回の逮捕を契機に立ち直り、再起できるように強く願っています。
一方のベッキーの場合は、覚せい剤事件とは違い、倫理的、道徳的な問題にすぎないにも関わらず、マスコミや世間が一方的な決着をつけようとして一種の公開リンチが行われたという認識でおり、そんな無法を行い、今も行っている人たちに警鐘を鳴らしたいと考えています。
【余計なお世話】
これまでも書いてきたように、不倫を含む男女間の問題は当事者で解決すべき話であり、国家権力やマスコミが介入すべきものでもなければ、赤の他人が口出しすることでもありません。
その証拠に、夫(妻)が不倫した話は、妻(夫)が許した時点で、他人の出番はなくなります。
大物お笑いタレントの奥さんが関西の落語家と駆け落ちした際に、「これまで何百回も殴ってきた(浮気してきた)オイラが一発殴られたからって文句は言えないよ」という名言の前では、誰もが黙るしかありませんでした。
人間国宝の歌舞伎役者が浮気騒動を起こした際、夫人が、「彼は芸人ですから」と前置きした後、「彼は常に女の人(若い子でなくともよい)がいないとダメですから」「女性にモテない夫なんてつまらない」と述べられたら、来ているレポーターたちも上げていた拳を渋々おろすしかありませんでした。(※参照 モテない 女」の部分一致の例文)
他人からわざわざ言われなくても、結局愚かなことをした人間を伴侶に選んだのは自分であり、自分の人の見る目のなさを恥じ、愚かだった過去の決断を反省するしかないことは、誰に言われずとも自分が一番よく分かっていることです。
当事者が、いろいろ口を出してくる世間やマスコミなど赤の他人たちに言いたいことを文章にすれば、「本当にいろいろリスクがある浮気なんかしてバカです。でも、そんな馬鹿を好きになった自分も馬鹿なのですから、仕方がありません。私は身内ですから遠慮なくバカと言いますが、他人から言われると腹が立ちます。赤の他人にそんなことを言われる筋合いはありません。余計な口出しはしないでください。ハッキリ言って大きなお世話です。とっとと引っ込んでください!」ということになると思います。
【引っ込め外野】
テレビ局やスポンサーはベッキーの行動を問題視して過剰に騒いでいますが、ベッキーがそれほどのことをしたとは私には到底思えません。
海外の新聞で書かれていたようにし、日本人の心の中に男尊女卑の価値観や差別が今も根強くあるからだと考えています。
不倫をしてきた人間は大勢いるのに、矢口真理やベッキーへのバッシングは明らかに度を越しており、不公平で理不尽なもので、日本人が半島の人と変わらなくなったしまったような恐怖感を持ちました。
それを報道している人間の中には、結婚しているのに隠し子がいた(明らかに二股や不倫をしていた)宮根アナや、不倫相手の家庭を壊した挙句に結婚した安藤優子もいますが、彼らは仕事を追われていません。それがあるべき姿で、矢口真理やベッキーへのバッシングが異常だっただけの話です。
おまけにベッキーの相手の川谷絵音(妻がありながら、そのことを隠してベッキーと付き合っていた彼こそが一番責められるべき人間)が、発覚後も、何事もなく番組に出ていることに何の疑問の感じていない人はどうかしています。
私は不倫など社会的には大きな影響を与える問題ではないと考えているので、宮根や安藤や川内らがテレビに出ているように、彼らがテレビに出ることに全く問題はないと考えており、矢口真理やベッキーを受け入れる寛容な社会や世間であった方が人間にとって住みやすい社会になることを信じています。
【テレビ局やスポンサーは反省せよ】
ベッキーのテレビ出演に対して、反対したり不満を述べる視聴者の意見やら投書する人間は自分のことを知らない愚かな人間か、自分のことを勘違いしている傲慢な人物です。
彼らは日本国民1億3千万人の中では、少数派の中の少数派に過ぎず、そんな特殊な一部のクレーマーたちの言いなりになる必要は全くありません。
偽りのクレーム電話を7000回もかけて現金や商品をだまし取ったとして逮捕された女がいましたが、レシートなど証拠もない人間の言うことをうのみにしたお店や会社の誤った安易な対応は、なんの証拠もないけれど、韓国が騒ぎ立てるから、面倒だからという理由だけで、安易にお金を出し続けた日本外務省と何ら変わりない愚かな行為で、マスコミもまた同じ過ちを犯しているように見えます。
テレビ局やスポンサーも、とりあえず嵐が収まるまで身を潜めていようという日本人特有の事なかれ主義的な対応で、そこには未来への展望やしっかりとした理念もなく、決して理性的とは言えないことをしてきた自分たちこそ反省すべきです。
買ったものに異常なものを見つけたら、普通は直接苦情電話を掛けたり、買った商品を持っていき交換してもらい、後日菓子折りなどで謝罪してもらい、大げさにならないよう決着をつけるのがまともな人間のすることです。
いきなり写真にとってSNSにあげるような人間は愉快犯であリ、確信犯で、たとえクレームが事実であったとしても、相手の名誉を棄損するクレーム方法であったことは明白でくぁり、彼らが責められない今日の状況こそ異常です。
【しかるべき対応】
今後2度とこうしたことが起きないよう、クレーマーたちに損害賠償裁判を起こして痛い目に遭わせる必要があるということを、メーカー側ではなく、消費者側からの総意としていく流れが必要だと考えています
日本の財産ともいうべき優良な企業がクレーマーのためにどんどん疲弊し、倒産していくことを避けるためにも、我々消費者(購買者)にとって、モンスタークレーマーは敵だという認識を持つべきです。
そのためにも安易にクレーマーの言い分に乗らない姿勢が必要なのです。
腹を立てるのは相手が問題というより、腹を立てる側の人間に問題があると考えるべきで、ベッキーが出て不愉快に思うと主張する人は、その人自身の精神状態や価値観に問題がある可能性があります。
日常の憂さを晴らすことが目的のクレーマーに対して、テレビ局は番組での苦情用の留守番電話を用意し、それも押しボタンで回答させるシステムを準備しておくだけでよく、いちいちまともに話を聞く必要などありません。
投稿欄やメールにしても、「~の件、許せない」、「~の件、許せる」、「~の件、その他」のどれかをクリックするように指定した後、それぞれの数などを記録して、報告書として残す程度の対応で十分で、視聴者の反応が視聴率になどに出た時に初めて、テレビ局やスポンサーはクレーマーに対しそれなりの対処をするだけでよく、その前に自分で動いたり、自粛するのは過剰な反応だということに気付くべきです。
【法的な一夫一婦制度の見直し】
私自身は、ベッキーも矢口真理も一夫一婦制度と男尊女卑的な日本人のものの考え方の犠牲者のような気がしています。
欧米のキリスト教社会における一夫一婦制度を、日本も法律の中で取り入れましたが、一夫一婦制度と少年法は、キリスト教信仰と教会の存在を前提とした法制度であり、キリスト教社会ではない日本に取り入れるなら、もっと深く真剣に考えてから取り入れるべきでしたが、あまりに安易に法整備を急ぎ過ぎたのではないかと考えています。
これから人口がますます減少傾向にある日本において、取り組むべきは、一夫多妻制度の導入か、そこまでいかずとも、愛人を持ったり、婚外子を持つことに寛容であった戦前の価値観に戻ることも視野に入れるべきではないかと思っています。
万に一つ一夫多妻制度になったとしても、道徳的に正しくありたい人や、経済的に苦しい人は身の丈に合った一夫一婦制度を守ろうとする人の方が多いでしょうが、金や権力がある男性ならば、複数の女性を愛人にしたり、認知する子供を多く持つ自分に誇りを見出すでしょうし、そうなることで貧しい一人暮らしの女性や貧しい母子家庭が減り、その生活レベルが上がり、当然支出も増え、社会にお金が流れ、内需が拡大すると考えられます。
イスラム社会やアフリカの部族社会、アジアなどでは、何十人もの子供を持つ部族長や富豪がたくさん存在しており、それは決して奇異なことでもなく、キリスト教国家ではない日本が、とやかく言うことではありませんし、他国から非難される筋合いのものでもありません。
日本も150年前までは、殿様や上級武士、大きな商家の主たちは、側室や妾を持ち、彼らにとっては、世継ぎを残すことが最大の使命で、そうした考え方が日本の国民の中に少しでもあったなら、今日の状況に陥っていなかったと思います。
【政治家の優先順位】
日本初の総理大臣である伊藤博文は女好きで有名で、明治天皇から注意されても女遊びは治りませんでしたが、政治家としての評価や信頼と身の下の問題は分けて考えるべきという認識が、明治時代の日本にはありました。
戦後評価の高い米内光政は、二・二六事件が勃発した時に芸者としけ込んでいました(下品な表現でゴメンナサイ)が、特別非難されなかったことを思えば、現代は明らかに過剰反応というしかありません。
終戦後自殺したことで評価が低い阿南惟幾陸相は、妻一筋だったことで有名で、「阿南の一穴主義」とまで言われていたようですが、それは「融通が利かない」「朴念仁」というマイナス評価でしかなく、戦前は金や権力を持つもので、愛人がいないものの方が珍しい時代で、あまりにキリスト教的な価値観を無邪気に取り入れ過ぎの現代だということができます。
「臍下三寸には人格がない」などと言われたその昔、男の不倫は大目に見られていましたし、男は仕事さえしっかりしていれば、妻以外の女性と遊んだ(浮気や不倫した)ところで仕方がない、それが男の性(さが)だ程度に思われており、英雄たちの色ごとに対し、極めて理性的な態度を示していました。
戦後、鳩山由紀夫、邦夫兄弟の祖父・鳩山一郎らと自民党を作ったことで知られる三木武吉は、選挙の対抗馬から 「なんと4人も愛人がいる」と下半身攻撃をされると,「私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5人の女性たちは今日ではいずれも老来廃馬と相成り役には立ちませぬが これを見捨て去るごとき不人情は三木武吉にはできませんから、皆今日も養っております。」と彼は堂々と反論し、世間もこれを良しとし、彼を当選させたのですから、戦後もしばらくは鷹揚な時代でした。
外国においては、政治家の浮気や不倫などのスキャンダルがあったとしても、政治家を辞めるところまで発展したことは殆どなく、政治家に求めるものの優先順位が日本とは大きく違っており、日本のマスコミがここまで下品になったのかとあきれ返っており、特にフジテレビのニュースが完全にバラエティ化していて、ゲスなのはお前たちの方だと白い目で見ています。
【脳科学的な男女の関係】
最近、脳科学的に、人間が恋をし、異性を求める際に影響を及ぼす脳神経伝達物質フェニルエチルアミン(PEA)が出るのはのは3年から5年が限度で、「3年目の浮気」は根拠のない俗説ではなかったことが証明されたようです。(※参照 恋の賞味期限は3年!?フェニルエチルアミンと恋愛の深?い関係)
また「英雄色を好む」と言われるように、決断力があり、大胆な決断を果敢にする男性的な人間には男性ホルモンやノルアドレナリンが多く分泌され、性欲も強いのに対し、いわゆる草食系の男性は真面目で女性関係にも気を遣う反面、小心者で冒険ができず、大胆な決断もできません。(※参照 未来狂冗談(ミラクルジョウダン)公式HP)
官僚や役人としては、草食系の女性的な人物の方が向きますが、果敢な決断が必要な政治家や軍人には肉食系の男性的な人物の方が向き、小心者に決断力を、英雄にちまちまとした真面目さを求めるのは、ないものねだりというしかありません。
脳科学的に、人間は一夫一婦制度に向いていない生き物であり、長く結婚生活を続けるのは愛情(恋愛感情)ではなく、一緒に生活をしたことで生まれる家族の情であることがわかってきました。(※参照 心動かすもの①)
異性(恋人や夫あるいは妻)としてでなく、自分の子の父(母)として、共に育てていくパートナーとして必要だからという理由で共に生活しているのであって、異性として暮らしていない以上、魅力的な異性が登場すれば、恋愛ホルモンや神経伝達物質が分泌され、目移りしてしまうのは、人間の本能として避けがたいことなのです。
それを理性(身もふたもない言い方をすれば、どっちが得かという計算や打算)と情(長年生活を共にしてきた家族としての情、年を取ったからといって捨てるのは忍びないという哀れみの感情や世間体を気に病む小心さ)でもって、かろうじて踏みとどまっているだけで、それを愛情などとはとても言えない代物であることは確かです。
【強かった本妻(正妻)の立場】
それでも結婚したからには妻に敬意を払うべきだとか、女性の人権を何だと考えているとフェミニズムの代表たちは主張するでしょうが、戦前の浮気をしてきた男性たちも、愛人や妾と言われる人たちも、正妻(本妻)に対しては、今では考えられないくらいの敬意を払っていたことを多分ご存知ないのではないでしょうか。
外で子供が生まれれば、正妻(本妻)が引き取り、正式な母親として育てるというのは、豊臣秀吉の正妻・北政所が、秀頼を生んだ淀君より格式も待遇も上で、秀頼の正式な母親は淀君ではなく北政所であった戦国時代と変わらない考え方が、終戦あたりまで続いており、正妻の人権は現代よりもはるかに守られていたのです。
韓国人の幸夫人と結婚し、日本の元首相でありながら韓国で土下座した宇宙人・鳩山由紀夫は、鳩山威一郎と韓国人の母親から生まれた後、威一郎の正妻・安子夫人に引き取られ、安子夫人の子・邦夫氏と一緒に育てられたことからも、正妻の強さが証明されています(なお小沢一郎、菅直人、福島瑞穂の父親も韓国人といわれています)。
女性の人権を主張する人たちが、どうしてベッキーのために立ち上がり声を全く上げないのでしょうか。
それは本人たちも気づいていないのでしょうが、日本においては、いまだに江戸時代の男尊女卑の価値観や気風がそのまま残っているという誤った認識があり、金や権力を持つ人間が複数の女性の面倒を見、たくさんの子供を養育するのは「男の甲斐性」だが、女性は貞淑であるべきという極めて女性に厳しい認識や価値観が必要以上に強調されて、残っているからだと認識しています。
なお金持ちが愛人やその家族、その親戚をも養うのは戦前の日本独特の考え方ではなく、アジアやアフリカでは豊かなものが貧しいものに恵むのは当然のことたと広く受け入れられていたにも関わらず、欧米を意識するあまりに、そうしたアジア的な価値観を捨て去ったことこそが間違いであったと思っています(※参照 ウッチャンナンチャンのウリナリならぬウリナム①【)。
【滅亡を座して待つのか】
日本は、先進国で唯一キリスト教国家ではない国家であることは世界中に知られており、このまま人口減少で滅亡するのを座して待つのは愚かなことと、結婚制度においてありかたや方向を転換したところで、日本の内政問題であり、反対する外国人はいません。
滅亡を避けるために、人口の多いアフリカやアジアの価値観やシステムを取り入れることは、移民政策を進めるよりも賢明な方法であり、現実的な方法で、同様の危機感を持っている欧米社会に対しても、新たな解決方法を提示する機会となるのではないでしょうか。
そのためには民法の改正だけでなく、財産をなした男が一文無しになるケースもありますので、そんなときには男性に代わって女性や子供一人一人に数千万円を支払うような養育保険のようなものの新設や、結婚前に、妻以外の女性を愛しても離婚の理由にはならないという項目の入った契約書を交わしておけば、不倫という言葉も消えてなくなるでしょう。
男に認められた権利は当然女性にも認められますので、女性も恋愛は自由となり、公平性は担保されますが、もし一方に対して恋愛の自由を認めたくないと思うならば、結婚前に結ぶ契約書の中に、その項目を設けておけばいいのです。
それだと金持ちに有利な契約になる恐れがありますので、恋愛の自由を放棄する見返りとして、それに見合ったお金を手にするというような項目を事前に契約書に入れておけばいいと考えています。
戦前、成功者の家には、貧しい若者たちを引き取り、書生として住まわせ、学校に通わせ、育成するという習慣がありましたが、それは成功者の務めなのだというアジア的な価値観から来ていたものであり、それを復活させるべきだと考えます。
【意識変革の時】
最後にもう一度まとめると、日本が人口減少で滅亡しないようにするためには、戦前のように妻に子供が生まれなければ外で子供を作ってでも、家をなんとしてもつないでいくという意識をもった家存続重視の結婚なのか、これまで同様、二人の愛情重視の結婚なのか、結婚前に二人がどのようなタイプの結婚を目指すのか話し合い、それを細かく契約書を作成して残しておくことが必要であり、金持ちが転落した際のセフティネットとしての養育保険のようなものを保険会社が用意しておくべきだということを提案させてもらいました。
民主党の岡田代表が、宮﨑議員のことを同じ衆議院議員として恥ずかしいと言ったそうですし、民主党議員が鬼の首でも取ったかのように、「奥さんだけでなく、国民の信頼をも裏切った」と偉そうに野暮な批判をしていましたが、民主党には、かつて中西モナと路チューした細野豪志議員がおり、「細野議員について、どういう意見をお持ちですか」という質問をしなかった司会者には脳がないのか、能がないのか、いなくてもいい存在でした。
細野議員の他にも今は別の党にいても、かつては民主党議員だった人が民主党時代に沢山不倫していた噂があったことを知らないふりをしているようですので、参考となる記事を付記しておきます。
★細野 豪志 中西モナ (※参照 【不倫キス】細野豪志と山本モナの不倫キス写真・画像まとめ ) ★姫井ゆみ子 (※参照 【画像あり】“ぶってぶって姫”姫井由美子のスキャンダルって?【現在は司法書士】嵐を呼ぶあぶない熟女) ★青木愛 (※参照 青木愛が小沢一郎の秘書と不倫の疑惑が勃発!) ★小沢一郎 (※参照 小沢氏に隠し子発覚「週刊文春」が報道) ★谷亮子 (※参照 谷亮子議員の不倫報道 小沢一郎議員の周辺がリークと噂も) ★田中美絵子 (※参照 田中美絵子 衆院議員 駅構内での チューを撮られた! ) ★鳩山由紀夫 (※参照 「鳩山由紀夫」が「東大卒業後」、幸夫人と略奪結婚) ★菅直人 (※参照 民主党の菅直人 笑えない過去の行状・戸野本優子との仲..) (※参照 菅直人首相不倫、韓国人ホステスとの隠し子疑惑と沈黙 - 理想国家日本 ...) |
法律や制度を変えることには何でも反対という左翼の人が日本には存在します。
事実、社会党や共産党は安保も東京オリンピックも自衛隊も新幹線も専売公社の解体も国鉄の民営化も郵政の民営化も全て反対して、自民党や日本の足を引っ張り続けてきました。
左翼の存在意義は、彼らのような反対するしか能のない存在をも寛容に許すことで、日本が民主主義国家であることを世界に示す証拠としてのみ必要で、それ以外に必要性も存在意義もなかったのではないかと私は疑っています。
【まとめ】
超保守的で現状維持しか訴えず、昔も今も対案を全く出さなかったにも関わらず、臆面もなく革新勢力を名乗る鉄面皮が左翼の連中です。
左翼に限らず、現状維持派の人がいますが、根拠も対案もないのなら、せめて自分の意見とは違う人に対して、賛成したり同意せずとも、そうした意見もあるよねと寛容にその存在を許容し、激しく糾弾したりするような真似をするべきではありません。
反対意見の存在を許さないのが左翼の特徴で、自由な民主主義の恩恵を一番受けながら、政権を取れば、自由を制限する体制に移行することは歴史が証明していますし、ロシアや中華人民共和国や北朝鮮を見ればよく分かりますので、決して騙されてはいけません。
自分なりの考えやルールを持って生きている他者に対し、特にプライバシーともいうべき恋愛や結婚生活に対し、自分の考えやルールを押し付けない謙虚さを人間は持たなくてはなりません。
当たり前のことや常識的なことを偉そうに言うことは、野暮なことだと知っていた江戸時代の日本人を見習い、野暮なことをしなくなり言わなくなるだけで、日本はもっと暮らしやすくなるはずです。
これまで戦後だけで数千万人とも言われる赤ちゃんがおろされてきたそうですが、その殆どが他人の目を気にする世間体と経済的な理由からでしたが、経済的に余裕のある人が愛人や子供を持つことを社会が認め、その面倒を見ることが当然というふうに日本人の意識が変われば、人口増加が少しは望めるかもしれません、
なお私はクリスチャンにシンパシーを感じている人間であり、これらは当然私の持論ではなく、本心とはかけ離れた机上の産物ではありますが、ない頭を振り絞ってそうした意見もあるのではないかと考えてみました。参考にしていただけたら幸いです。失礼しました(【文中敬称略】)。
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